今回は、FateシリーズのスマホゲームFate/GrandOrder(以下FGO)に登場するサーヴァントである「源頼光」「坂田金時」「酒呑童子」のゆかりの地である、京都府京都市西京区と亀岡市の市境に鎮座する「首塚大明神」をご紹介します。
この首塚大明神は、酒呑童子退治を成し遂げた源頼光とその配下である源頼光四天王が京の都へと帰還する途中に立ち寄った場所です。
FGO作中でも犬猿の仲である源頼光と酒呑童子。
そして「金太郎」としてその名が広く知られる源頼光四天王の1人・坂田金時の活躍も含めて、果たして彼女達の戦いの物語はどのような結末だったのでしょうか。
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それでは、首塚大明神へお参りしていきましょう。
首塚大明神の由緒
京都府京都市は西京区。京都市と亀岡市の市境でもある国道9号線・老ノ坂トンネルへと京都市側から車を走らせていると、老ノ坂トンネルのすぐ手前に見逃してしまいそうな小道の入り口があります。
心霊スポットとしても有名な老ノ坂廃モーテルを横目に、軽自動車や二輪車でなければ通行は困難だと思われるような非常に悪路かつ狭い道路を進み、突き当たりを左折し旧山陰道へと入ります。
そのまま道なりに進んでいくと静かに、しかし“雰囲気”のある鳥居を構えるのは、「首塚大明神」です。
読みは「くびづかだいみょうじん」(「くびつか」と読む説も)。
神社及び首塚の創建は明らかになっていませんが、後述の創建由来から少なくとも平安時代中期(西暦1000年頃)以降だと思われます。
社名の「首塚」とは、この地に日本三大妖怪の1体として数えられる「酒呑童子」の首が埋められたことに起因しています。
※日本三大妖怪・・・玉藻の前、大嶽丸、酒呑童子
かつて源義経や足利尊氏、明智光秀らも通ったとされるこの旧山陰道沿いに建つ首塚大明神は、現在は首から上の病平癒に御利益のある神社として祀られています。
先述の老ノ坂廃モーテルと共に心霊スポットとして扱われることもありますが、よくよく考えてみれば、かつて京の都を荒らし回り、数々の頑強な鬼を従えるほどの力を持っていた酒呑童子が眠るこの地で、果たして近代日本の地縛霊がまともに活動出来るのか非常に疑問です。
その悪鬼・酒呑童子も頼光ママに首を切り落とされる際、今まで犯した自身の罪を懺悔し、今後は首から上に病を持つ人々を助けたい、と改心したと神社には伝わっていますから、パワースポットとしてならまだしも心霊スポットとして扱われるのは彼女も心外でしょう。
とはいえ、夜には絶対訪れたくない場所であることには間違いありませんが。
首塚大明神の創建由来・老ノ坂伝説
首塚大明神へお参りする前に、この首塚大明神の創建由来でもある「老ノ坂伝説」をご紹介します。
老ノ坂伝説が語られる物語は「大江山絵巻版」と「御伽草子版」の2つが有名です。(他にも幾つか伝承が存在します)
結末に多少の違いがあるものの、いずれも平安時代初期(西暦850年前後)に京の都において、若者や貴族の姫君が誘拐される事件が頻発し、その犯人が大江山(現在の京都府北部、与謝野町・福知山市・宮津市にまたがる連山)を拠点に活動する酒呑童子であることが判明。
帝(天子様)が頼光ママとその配下である源頼光四天王に討伐を命じるところから物語は始まります。
今回は、FGO作中において酒呑童子のキャラ設定のメイン資料に採用されていると思われる「御伽草子版」に沿ってご紹介していきたいと思います。
討伐を命じられた頼光ママ一行は様々な策を練り、最終的には自身たちを山伏だと偽り、酒呑童子が開く酒宴へと潜入します。
事前に自身の討伐隊が大江山へと向かって来ていることを知っていた酒呑童子は、山伏姿の頼光ママらを怪しみながらも共に酒を飲み始めます。
そこで自身の身の上話を意気揚々と語り始めた酒呑童子は、配下の鬼らと共に、誘拐された貴族の娘の血酒や人肉を食す頼光ママらに気を許してしまいます。
頼光ママはタイミングを見計らって、強力な毒酒である「神便鬼毒酒」を酒呑童子に飲ませ、毒によって体が動かなくなってしまった酒呑童子の首を断ち切ります。
この際、切り落とした酒呑童子の首が頼光ママの兜に噛みつき、この「騙し討ち」と言われても仕方のない討伐方法について、頼光ママを罵詈雑言で罵ったそうです。
FGO作中では、自身の死因となった「神便鬼毒酒」を攻撃用宝具として扱っており、酒呑童子を殺した毒酒が酒呑童子の霊基に組み込まれてしまっています。
また、彼女の持つスキル「戦闘続行(A+)」は、首を落とされても頼光ママへ反撃したことから来たものでしょう。
彼女らが犬猿の仲なのも、この伝承に基づくのであれば致し方の無いことかもしれません。
こうして酒呑童子討伐を成し遂げた頼光ママ一行は、酒呑童子の首を京の都へと持ち帰る途中、老ノ坂へと差し掛かります。
旧山陰道の中腹で休憩していた一行は、道端に祀られる子安地蔵尊から「鬼の首のような不浄なものを、天子様のおられる都へと持ち行くことはならん」と忠告されます。
熊に相撲で勝ったという力自慢の坂田金時(金太郎)は、「知ったことか」と子安地蔵尊の忠告を聞き入れず、酒呑童子の首を持ち上げようとします。
ところが、ここまで持ち運んできたはずの酒呑童子の首が突然持ち上げられないほど重くなり、その場から動かせなくなります。
仕方なく、一行がその地に酒呑童子の首を埋葬したところで物語は終わります。
そう、頼光ママ一行が酒呑童子の首を埋めたその場所こそが「首塚大明神」なのです。
首塚大明神には酒呑童子が改心したと伝わりますが、御伽草子には頼光ママを罵詈雑言で罵ったと伝わるので、どちらを信じるかはあなた次第ですが、私はどの結末にせよ、最終的には改心したものだと解釈しています。
※国道9号線、老ノ坂に面する子安地蔵尊
首塚大明神へお参り
旧山陰道沿いに建つ鳥居の横には、手水舎らしき小さな溜水所があります。
流石にこの手水舎で手と口をお清めするのは憚られるので、今回はスルーさせて頂きます。
くぐると呪われると噂がある首塚大明神の鳥居ですが、私は気にせず一礼してくぐります。
参道はあまり整備されている様子は見受けられません。
足元が非常に不安定なので、参道を歩く際は転んだりしないよう十分気を付けて下さい。
社殿に到着しました。
社自体はとても小さいです。
私は未だに酒呑童子とは縁が薄く、私のカルデアにはイベントで配布された☆4キャスターの酒呑童子しかいませんが、いつか縁が結ばれて召喚されることを祈りながら、二礼・二拍手・一礼にてお参りします。
社殿脇には、数年前に雷に打たれて内部が燃えたものの、枯れることなく今現在も枝を伸ばし葉を付ける杉の木がそびえ立っています。
また、先述の老ノ坂伝説を書き記した石碑も建っています。
そして、知らなければ見逃してしまいがちなのが、社の裏手にある「首塚」です。
この柵で囲われた中央に、酒呑童子の首が埋められているそうです。
写真では何の変哲もない、ただの土盛りにしか見えませんが、直接この目で見ると境内の雰囲気も相まって、背筋に冷たいものを感じます。
何度も言いますが、絶対に夜には訪れたくありません。
境内奥には、社務所らしき建物がありますが、倉庫と言われれば倉庫にも見えます。
また、その建物へと続く階段を降りて行くと、旧山陰道へと繋っています。
なお、首塚大明神から奥の旧山陰道は封鎖されており、少なくとも車両での進入は不可能になっています。
首塚大明神へのアクセス方法
首塚大明神へは、車かバスで参拝することが出来ます。
しかし、最寄りのバス停からは徒歩で15分程度かかるため、車での参拝をオススメします。
バスで参拝する場合は、京阪京都交通「老ノ坂峠駅」で下車し、徒歩で向かいます。
なお、車で向かう場合は、亀岡市方面からは右折禁止で進入不可なので、京都市方面から向かいましょう。
なお、参拝者専用駐車場はありませんが、鳥居そばの路側帯に3台ほど駐車可能なスペースがありますので、そちらに停めると良いでしょう。
駐車禁止の標識はありませんので、参拝のための一時的な駐車であれば交通違反にはなりませんが、近隣の住民の方や他の参拝者の邪魔にならないよう注意しましょう。
まとめ
✔名称
首塚大明神
✔御祭神
酒呑童子(酒呑童子の首そのものとする説も)
✔所在地
京都府京都市西京区大枝沓掛町
✔営業時間
不明
✔専用駐車場
無
路側帯を利用
✔御朱印
不明
✔アクセス方法
車・バスで可
車での参拝をオススメ
バス:京阪京都交通「老ノ坂峠」下車、徒歩15分程度
✔公式ホームページ
確認出来ず
✔その他特記事項
〇首塚大明神周辺には人が住む住宅が何軒かあるため、住民の方に迷惑とならないよう注意して参拝する必要がある
老ノ坂麓のコンビニから「首塚大明神」
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